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福岡高等裁判所 昭和55年(う)276号 判決

被告人 緒方正人 ほか三人

主文

本件各控訴をいずれも棄却する。

当審における訴訟費用は、その四分の一ずつを各被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人山口紀洋、同建部明、同内山成樹が連名で差し出した控訴趣意書及び控訴趣意補充書にそれぞれ記載されているとおりであり、これに対する答弁は、検察官疋田慶隆が差し出した答弁書に記載されているとおりであるから、これらを引用する。

第一控訴趣意第二の一の1の(六)(理由齟齬の主張)について

所論は、要するに、原判決は、その判示12のエ事実(以下「エ事実」という。)において、いずれも水俣病認定申請患者協議会(以下「申請協」という。)の構成員である被告人緒方、同坂本、並びにいずれも申請協の支援者である被告人中村、同森山の四名が、抗議等に参加した他の申請協構成員及び支援者(以下「申請協参加者」という。)多数と共謀のうえ、当時、熊本県議会(以下「県議会」という。)公害対策特別委員会(以下「公特委」という。)の委員長であつた同県県議会議員杉村國夫(以下「杉村」又は「杉村委員長」という。)に対し、その股間を膝蹴りにして暴行を加えたという事実を認定しているが、右の膝蹴りした者の特定はしておらず、原判決の挙示する関係証拠では、被告人ら四名及び申請協参加者らが右の暴行に及んだ事実を認定するに足りないから、右認定事実と原判決の挙示する関係証拠との間には矛盾があり、従つて、原判決には、その点において、理由齟齬の違法がある、というのである。

しかし、原判決が右事実認定の関係証拠として挙示している、原審公判調書中の証人杉村の供述部分中には同人の股間を蹴つたのは、その場にいた申請協参加者側(被告人らがその場にいたならば、被告人らをも含むという趣旨である。)の者であるという部分があるし、その供述部分と、これを裏付ける他の右関係証拠とを総合すると、右の暴行行為者が、被告人ら四名及び申請協参加者らのうちの誰であるかについてまでは特定できないとはいえ、後記のとおり、優に、被告人ら四名と申請協参加者らの中の者との共謀による右の暴行の事実を肯認することができるのであるから、原判決には所論のような理由齟齬の違法はない。論旨は理由がない。

第二控訴趣意第二の二(事実誤認の主張)について

所論は、要するに、被告人坂本は、原判決7のア事実(以下「ア事実」という。)及び同判示8のウ事実(以下「ウ事実」という。)のように、植田繁(以下「植田」という。)及び藤本政則(以下「藤本」という。)に対し、それぞれ暴行を加えて、同人らの各公務の執行を妨害したことはなく、また、被告人森山も、同判示7のイ事実(以下「イ事実」という。)のように、藤本に対し暴行を加えて、同人の公務の執行を妨害したことはなく、原審公判調書中の証人植田、同藤本、同松田道夫(以下「松田」という。)、同田山洋二郎(以下「田山」という。)の各供述部分(以下、順次に、「植田証言」、「藤本証言」、「松田証言」、「田山証言」とそれぞれいう。)については、右証人らがいずれも県議会の職員であつて、本件当日、「ニセ患者発言」問題追及のために陳情に来た申請協の陳情者に対処するにあたり、公特委の杉村委員長らと明らかな共同関係にあつたものであるから、いわば当事者的立場にある者として、被告人らに不利益な虚偽の供述をしたものであり、しかも、それらの証言は相互に矛盾し、不自然な点も多多あつて、いずれも信用性がないものであるのに、原判決が、これらを証拠として採用し、いずれもこれらと異なる内容で信用性のある右被告人ら両名の原審公判廷における各供述中の部分を証拠として採用することなく、右各事実を認定したのは、いずれも、証拠の取捨選択を誤り、ひいては事実を誤認したものであつて、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。そこで、以下、各事実ごとに検討する。

一  被告人坂本の植田に対する公務執行妨害の事実(ア事実)について

まず、所論のように、植田、松田、田山各証人が、いずれも県議会職員であり、申請協の陳情者らに対処する立場にあつたからといつて、そのことから直ちに、同証人らの各被害事実又は目撃事実についての証言にいずれも信用性がないとはいえないばかりでなく、なるほど、右各証言中には、原判決も「(主な争点に対する判断)一の1」において指摘するような食い違いのあることは認められるが、それらの食い違いは、いずれも、暴行の状況についての細部の点に存するに過ぎないものといえるうえ、原判決が説示するように、現場付近が、申請協の陳情者らと県議会職員らが入り乱れて動くという、相当混乱した喧噪な状況にあつたことに鑑みると、そのような食い違いが生ずるのも無理からぬものとして理解し得るところであること、被害状況についての植田証言は、自己の顔面の鼻のあたりを殴打された状況及びその犯人の顔、着衣等についての供述が、具体的、詳細であつて、特に不合理な点は見当たらず、その目撃状況についての松田証言も、右の各点については具体的、詳細に供述しているもので、至近距離からの目撃によるものであり、これらは暴行の状況及び犯人の特定について相互に一致する内容のものであること、また、田山証言も、被告人坂本が横田に対して暴行を加えたところまでは目撃していないとはいうものの、同様至近距離から右犯行の直前及び直後の状況について目撃していたというものであるところ、振り向いたら植田が鼻のところを手で押さえながら後にふらつき、その時植田の前にいたサングラスを掛け、縞模様のシヤツを着た男がきびすを返して去つていつたという内容のものであつて、具体性に富むものであること、そして、これらの各証言は、主要な点において相互に一致しているばかりでなく、これらの内容を逐一検討しても、不自然、不合理な点は特に見当たらないことに照らし、これらの各証言はいずれも十分信用できるものであり、これらを含む原判決の挙示する関係各証拠によると、

1  被告人ら四名及び申請協参加者ら約一五〇名は、原判示1ないし6のとおりのいきさつのもとに、昭和五〇年九月二五日、同判示のいわゆる「ニセ患者発言」について、公特委委員長らに抗議するため、第六回公害対策特別委員会(以下「本件委員会」という。)の開催される県議会議事堂建物内に参集していたが、県議会事務局の係官から、同建物一階の待機場所で待機するように指示を受けていたにもかかわらず、右事務局所属の守衛らの制止を振り切つて同建物三階へ上り、本件委員会の開かれる委員会室(以下「本件委員会室」という。)前廊下及び同所階段付近に座り込むなどしていたこと、

2  同判示7のとおり、同日午前一〇時に開会を予定されていた本件委員会は、同一〇時四〇分ころになつて開催され、議事に入つた後、申請協の陳情を受けることにした際、被告人緒方らを含む申請協参加者らは、本件委員会に関する陳情の受付、議場の整理等の任務に従事していた県議会事務局議事課長の植田から、陳情は代表者五名に限る旨告げられたのに対し、同判示のとおり、これを不服として、全員の入室を要求し、本件委員会室内に同室東側の出入口の扉から押し入ろうとしたこと、

3  同室内にいた植田を含む職員らは、これを阻止しようとして同室内から扉を押し返し、同扉をはさんで両側から押し合いになつたが、同日午前一〇時五〇分ころ、申請協参加者ら約二〇名は、これを押し開けて、本件委員会室内になだれこんだこと、

4  その際、植田は、前記職務の執行として、申請協参加者らの侵入を阻止するため、同室出入口の扉の取つ手を握つてその扉を同室内から支えていたところ、サングラスを掛け、赤茶色の横縞入りのシヤツを着用した男が同室内に入室してきて、その男から、いきなり顔面の鼻のあたりを手拳で殴打され、そのため、ずきんとするような痛みを感じ、眼鏡がずり上り、後ろの壁の方によろめくような状態になつたこと(この状況を右扉の正面で執行部課長席の脇の、植田とは至近距離の地点にいた松田が目撃し、犯人が右の男であることを、サングラスやシヤツにより確認し、また、植田が殴られた直後、後ろによろめく状況については、同じく右扉のすぐ脇で、植田とは同様至近距離の地点にいた田山も、これを目撃している。)、

5  その直後、右着衣等の男がきびすを返すようにして、委員長席の方へ立ち去つたが、そのような着衣及びサングラス着用の者は、被告人坂本であつたこと(その特定については、現場写真の服装等に照らして明らかである。)、

以上の各事実を認めることができ、右各事実によると、ア事実のとおり、被告人坂本が植田に暴行を加えて、その公務の執行を妨害した事実を認めるに十分であり、原審及び当審各公判調書中の被告人坂本の供述部分中右認定に反する部分は、いずれも、その余の前記各証拠に照らし信用することができず、記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討しても、右認定に誤りがあるものとは考えられない。もつとも、原判決は、被告人坂本の原審公判廷における供述をも証拠として挙示しているのであるが、ア事実からすると、原判決も、同供述中の右の信用できない部分はこれを証拠として採用しない趣旨であることが明らかである。

二  被告人森山の藤本に対する公務執行妨害の事実(イ事実)について

藤本証言についても、同証人が県議会職員で被告人らの行動に対処する立場にあつたからといつて、そのことだけで信用性がないとはいえないことは前示と同様であり、同証人のイ事実に関する証言内容は、原判決の説示するとおり、それ自体詳細かつ具体的で、不自然、不合理なところは特にないばかりか、現場写真(原判決の挙示する司法巡査谷本憲夫作成の写真撮影報告書添付の写真番号13)の状況とも符合していることに照らし、十分信用できるものであり、これを含む原判決の挙示する関係各証拠によると、

1  前記のとおり、同日午前一〇時五〇分ころ、前同所において、被告人緒方らを含む申請協参加者らが全員の入室を要求して、本件委員会室内に入ろうとした際、被告人森山もこれに加わつていたこと、

2  その際、藤本は、県議会事務局総務課所属の守衛長として、本件委員会室の東側扉の外側廊下において、県議会議事堂の警備、整理等の任務に従事中であつたが、申請協参加者らが本件委員会室内に押し入ろうとするのに対し、同室出入口に立ち塞がつてこれを制止しようとしたものの、申請協参加者らによつて同室内に押し込まれてしまい、右扉から約一・五メートルくらい入つたところで踏み止どまり、なお制止を続けていたところ、背後にいた者から、懸命に振りほどこうとしても振りほどけないほど強く両腕で抱き締められ、同室入口前廊下まで押し出される暴行を加えられて、職務の執行を妨害され、その際後ろを振り向くと右暴行を加えていたのは、黒縁眼鏡の大きな体格の顔見知りの男であつたこと、

3  右の男は被告人森山であつて、同被告人は、藤本が申請協参加者らの侵入を阻止しようとしているのを見て、これを不満として、右行動にでたものであること、

以上の各事実を認めることができ、これらの各事実によると、イ事実のとおり、被告人森山が藤本に暴行を加えて、その公務の執行を妨害した事実を認めるに十分であり、原審及び当審各公判調書中の被告人森山の供述部分並びに同被告人の検察官及び司法警察員に対する右各供述調書中の、右認定に反する各部分は、いずれも、その供述内容自体に変遷があるうえ、その余の関係各証拠に照らして信用することができず、その他記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討しても、右認定に誤りがあるものとは考えられない。もつとも、原判決は、被告人森山の原審公判廷における供述、同被告人の検察官並びに司法警察員に対する昭和五〇年一〇月七日付、同月八日付(二枚のもの)及びに同月一二日付各供述調書をも証拠として挙示しているのであるが、イ事実からすると、原判決も、同供述及び各供述調書中の右の信用できない部分はいずれもこれを証拠として採用しない趣旨であることが明らかである。

三  被告人坂本の藤本に対する公務執行妨害の事実(ウ事実)について

藤本証言の信用性について、同証人が県議会の職員であるからといつて、その信用性を直ちに否定できないことは前示と同様であるうえ、同証人は、ウ事実についても、目撃していることといないこととを、はつきり区別して、詳細、明確かつ具体的に供述していることに照らし、その信用性を十分認めることができ、これを含む原判決の挙示する関係各証拠によると、

1  前記のとおり申請協参加者らが本件委員会室に入つた後、原判示8のとおりの経過で、申請協参加者らの陳情は、午前一一時過ぎころ、一〇名が入室して行われたが、そのころ、被告人坂本は、右委員会室前の廊下にいたこと、

2  他方、藤本は、右廊下において、議事堂の警備、整理の任務に従事し、廊下に座り込み、足を投げ出すなどして滞留していた申請協参加者らに対し、通路をあけるよう指示していた際、被告人坂本が、藤本のすぐ前まで近付いてきて、「おれの前をうろうろするな。」と怒鳴り、藤本が、「うろうろするのはおれの職務だ。」と言い返したところ、左大腿部を膝で蹴られたような感じで、ずきんとした痛みを覚えたこと、

3  そこで、藤本が、被告人坂本に対し、「おまえは蹴つたね。」いうと、同被告人は、「足のはつてたつた。」(「足がひとりでに動いていつた。」という趣旨に解される言葉)、「おれは、蹴らんだつた。」「犬がおろうが。犬を出せ。」「おまえが蹴つたろうが。」などと言い、藤本に詰め寄つてきたこと、

4  藤本の大腿部の右痛みは、その場限りでおさまつたものではなく、二、三日の間、押さえると痛み、歩く際こわばつた感じが残つていたというものであつて、それは、自然に軽く当たつたというようなことによるものでは到底なく、その部位からして意識的に膝で蹴り上げられたことを十分窺わせるものであること。

5  被告人坂本も、その足の部分が藤本の身体に触れたことは認めていること、

以上の各事実を認めることができ、これらの各事実、殊に、藤本が左大腿部に衝撃を受けたいきさつ、その後の被告人坂本の言動及び左大腿部の痛みの程度に徴すると、被告人坂本が藤本の左大腿部を膝で蹴つたことを内容とする公務執行妨害のウ事実を認めるに十分である。

原審及び当審各公判調書中の被告人坂本の供述部分中には、同被告人は、藤本と前記のような言争いをしても効果がないと思つて、元の場所に戻るつもりになり、体の向きを変えるため、左足を軸にして右足を左回転させようとした際、水俣病のために足の自由がきかず、左膝の力ががくつと抜けて、あわてて着こうとした右足が誤つて藤本の足にあたつてしまつた旨の部分があるが、そうだとすると、藤本にあたつたのは、その打撃を受けた部位に照らして、被告人坂本の右足の突出した部分である右膝ということになるが、左足の力が抜けたのであるならば、左足が沈むようになり、それとともに右膝も沈むようになるはずであるから、それが自然にあたつたのであれば、その位置は、藤本の足の膝付近か、それより下の方でなければならないと考えられ、大腿部にあたるということは、考えがたいというべきであつて、その点からしても、同被告人の右弁解を信用することはできない。なお、同被告人は、水俣病のため片足で立つことが困難であつて、そもそも膝蹴りを加えること自体不可能であつたというが、前記関係証拠によると、同被告人が水俣病を患い(熊本県知事から昭和五一年六月三〇日水俣病の認定を受けている。)、本件当時も足の運動に多少の障害のあつたことは認められるけれども、本件当日の行動の状況に照らしても、立つた姿勢で膝蹴りすることが十分可能な状態にあつたものと認められる。また、原審及び当審各公判調書中の被告人中村の供述部分並びに原審公判調書中の証人高倉史朗の供述部分中の右認定に沿わない趣旨の各部分は、いずれも、被告人坂本の右行為の状況を直接目撃していたことを内容とするものではなく、現場におけるその後の藤本と被告人坂本とのやりとりの様子を主たる内容とするものであつて、右認定に合理的疑いを抱かせるものではなく、その他記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討しても、右認定に誤りがあるものとは考えられない。もつとも、原判決は、被告人坂本の原審公判廷における供述をも証拠として挙示しているのであるが、ウ事実からすると、原判決も、同供述中の右の信用できない部分はこれを証拠として採用しない趣旨であることが明らかである。

以上のとおりであつて、原判決には、ア事実、イ事実及びウ事実について、各所論のような事実の誤認はなく、論旨は、いずれも理由がない。

第三控訴趣意第二の一(但し、そのうち一の1の(六)の部分を除く。事実誤認の主張)について

所論は、要するに、エ事実につき、被告人らは、いずれも、杉村に対し、暴行を加えたことはないし、被告人らが、申請協参加者多数とそのための共謀をしたという事実もないのであるから、右の点については、被告人らはいずれも無罪であるのに、原判決が、いずれも信用性のない原審公判調書中の証人浦田勝の供述部分(以下「浦田証言」という。)及び井手正剛の検察官に対する供述調書二通(以下、これらを「井手供述」という。)を証拠として採用したうえ、各被告人につき、それぞれエ事実中の(1)ないし(4)のとおりの個別的な暴行の各事実を認定し、被告人ら四名と申請協参加者らとの共謀による公務執行妨害及び傷害の事実を認定したのは、事実を誤認したものであり、また、原判決は、そもそも、杉村が本件委員会の休憩を宣して退席するに至る経緯その際の被告人らを含む申請協参加者らの行動及び杉村の被つた傷害の程度についても認定を誤つているのであつて、右誤認は、判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

そこで、検討するに、右の事実については、被告人らは、いずれも、申請協参加者らとの共謀による行為として起訴されているのであるから、右の共謀の関係にあるもののうちの誰かがこれらの暴行を加えたこと及び被告人らがそれぞれ右共謀に加わつていたことが認められるならば、被告人らはいずれも刑事責任を免れないのであり、被告人らの個別的行為までも特定して認定する必要のないことについては、改めて論ずるまでもないところである。原判決が被告人らの個別的行為を認定している趣旨は、これによつて、各被告人らの行為の態様をできるだけ明らかにするとともに、本件が現場共謀による事件であるだけに、被告人らが共同して実行していたことを示すことにより、それぞれの被告人が、単なる傍観者などではなく、他の者との共謀関係にあることを裏付けるためでもあつたと解される。そして、共謀関係にある以上は、実行行為をしなくても、共同正犯として刑責を負うものであるから、仮に被告人らの個々の行為についての認定に誤りがあつたとしても、当該被告人の共謀の事実が認められ、その態様に徴して、具体的な刑事責任(量刑)に影響を及ぼすことが明らかでない以上は、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があるとはいえないということも、また当然といわなければならない。

ところで、所論は、暴行の内容及びその行為者について個別的、具体的に供述している浦田証言及び井手供述にいずれも信用性がないとする理由の一つとして、同証人らはいずれも被告人らを含む陳情者側と敵対関係にあつたことを挙げているが、確かに所論のような当事者性がこれらの証人にある程度あることは否定できないとしても、本件は、多数の者のいるところで生じたものであり、また、特定の被告人について敵対感情を持つているというものではない以上、そこで生じた暴行の加害者につき、特定の者に刑事責任を負わせようとして、殊更に事実を曲げた供述をするということまでは考えられないのであるから、所論の右理由のみをもつて同各証言の信用性(誠実性)を否定することはできないというべきである。もつとも、これらの各供述については、いずれも、廊下ないし階段ホールといつた比較的狭い場所での、しかも、多数の関係者が入り乱れ、混乱した状況のもとにおける目撃事実に関する証言であるから、ある程度の記憶違いや勘違いがあつたとしてもやむを得ないところであるし、大筋においては正鵠を得ているといえるものであつても、細部においては正確性に欠けるということは、しばしばあることであるうえ、推測に過ぎないことを目撃したかのように述べるということもあり得るのであるから、その信用性については、右のような観点からの慎重な吟味を必要とすることはいうまでもない。

まず浦田証言の信用性について検討するに、原判決は、同証人が被告人らの各暴行の内容を、詳細かつ具体的に供述していると判断する理由として、同証人が、特に杉村の身を案じて、他の者に比してはるかに強い関心と注意をもつて観察したと推認されることを挙げているが、同証人の目撃にかかる事実は、本件委員会室前廊下から階段ロビーを経て県議会経済常任委員会室前廊下曲がり角付近に至るまでの間の状況に関するものであるところ、当審第一一回及び第一二回公判調書中の証人下山昭典の供述部分(以下「下山証言」という。)によると、その際、熊本東警察署警備課長であつた同証人は、当日の警備、採証活動のための責任者として現場に赴き、杉村が本件委員会の休憩を宣言して退出する際、二五、六名の私服警察官とともに本件委員会室西側扉付近廊下で警備、採証活動に従事中であつたが、杉村の退出とともに、その背後から同人に近付こうとしたけれども、杉村は、本件委員会室東側出入口付近にいたときから以降は、申請協側の者ばかりでなく、杉村の護衛や採証にあたつていた警察官及び県議会事務局職員ら多数の者に取り囲まれた、同証人自身も後から押され、体が他の者に密着したような状態にあつて行動の自由がきかず、その人垣をかき分けて杉村に近寄ることは不可能であり、そのような状態のまま、階段ロビーの東側の壁に押し付けられてしまつたもので、杉村に対する暴行の状況について誰が何をしているかを現認することはできないような状況にあつたこと、そして、右のとおり二十数名にのぼる多数の警察官らが現場に居合わせ、これらの警察官らのうち多数の者らが、浦田と同様に、いずれも杉村をその背後から追いかける形になつたにもかかわらず、誰一人として、杉村に対する個々の具体的暴行について、行為者を特定して現認していた者はいなかつたことが認められ、また、藤本証言によつても、同証人は、前記のとおり守衛長とし、杉村を護衛するため同人の左側又はその斜め後方のすぐ脇に終始位置していたにもかかわらず、その杉村の前面や左斜め前方から加えられたような暴行についてすら、服装、体格等により行為者を特定し得るような事実を全く現認していなかつたことが認められるのであつて、このように杉村が人垣の中にあつて、混乱した状況にあつたことは、原判決の挙示する司法警察員吉村一信、司法巡査谷本憲夫、同川崎昭洋各作成の写真撮影報告書、原田邦博作成の上申書、原審公判調書中の証人原田邦博の供述部分(以下「原田証言」という。)及び藤本証言によつても認められるところである。そして、浦田証言によると、同人は、杉村が廊下において暴行を受けていた際、同人の後方のやや離れた人垣の中にあつたことが認められ、その点においては、右警察官らと特に異なる状態にあつたものとは認めがたく、浦田は、これらの警察官らと同様、行動も思うにまかせない状況のもとにおいて、いわば頭越し、肩越しに杉村に対する暴行事実を見ていたことになる(前記原田邦博作成の上申書添付の写真によると、浦田は通常人より背がやや高いことが窺われるけれども、右のような目撃状況であることに変わりはない。)のであつて、杉村の安否に対する浦田の関心が高かつたからといつて、採証活動に従事する警察官以上に、具体的暴行の内容や、その行為者を特定できるような特徴までをも現認することが果たして可能であつたかどうかについては、かなりの疑問があるといわなければならず、少なくとも、多数の警察官が、行為者を服装、体格、顔付き等により特定して現認することが全くできなかつたのに、浦田がこれを現認することができた理由として原判決が挙げている杉村の安否に対する特別の関心の存在というだけでは、浦田証言のような極めて詳細というべき現認が可能であつたことの根拠としては、十分とはいえないと思われる。それに加え、浦田証言中には、推測される内容を現認したように供述し、それが推測による供述であることが反対尋問によつて明らかにされた部分も少なくなく、たとえば、被告人森山が、湯沸室前付近で杉村を蹴つていたことまで見たと述べた後、それは蹴ることに伴う体の動きからの推測である旨供述するに至つたが、そうだとしても、せいぜい被告人森山の上体が肩越しに見えるかどうかという人垣の中にあつて、その体の動きから足で蹴つたことまでをも推測できるような状況にあつたかどうか疑問であるし、また、階段ロビーで杉村の左側から同人の腕を取り、もう一人の者が右側からその腕をとつて杉村を東側の壁に向かつて投げ付けたと供述する点についても、当初目撃したかのように供述したが、後に推測にわたる事実であることが明らかになつたものであり、しかも、浦田証人は杉村の後方から人垣越しにその様子を見たことになるのであつて、右と同様、そもそも現認し得る状況にあつたかどうかについても疑問があるものといわなければならない。このように見てくると、浦田証言中には現認した事実と推測に過ぎない事実(伝聞による推測を含む。)とを区別しないままに述べられているところが少なくないことを窺うことができるのであり、その結果、どこまでが現認にかかる事実であり、どこからが推測にわたる事実になるのかを、明らかにすることは容易でないものといわなければならない。更に、浦田証言は、当審で取り調べた録音テープによつて認められる、杉村の回答文の朗読後の本件委員会室内の状況と対比するとき、かなり誇張された、正確性に乏しい内容の供述になつており(原判決が、後記のとおり、その状況について誤認するに至つた原因の一つは、この点についての浦田証言に信用性を認めたことにある。)、また、同証言には、暗示による影響を受けやすいところも窺われるのであつて、そのような点に照らしても、同証人のいう現認なるものは、必ずしも冷静かつ客観性の高いものとはいいがたいとするほかないものである。以上の点に鑑みると、浦田証言のみを根拠として被告人らの特定の暴行行為を認定することは困難であると考えられる。

次に、井手供述の信用性について検討する。井手は、本件が原審係属中に死亡したため、同人の検察官に対する供述調書二通が刑訴法三二一条一項二号による証拠とされているのであり、これらについては、いずれも、反対尋問を経ていないため、その信用性について慎重に検討する必要があることは所論のとおりである。そこで、井手供述を、右録音テープに録取されている本件委員会の状況と対比しつつ子細に検討すると、井手供述は、右録音テープに収録されている午前中及び休憩後再開された本件委員会の状況とも概ね合致しており、殊に、再開後混乱に至る経緯についても、浦田証言とは異なり、被告人緒方らが委員長席に進み出てくることになつた状況に関する点をも含め、客観的事実に沿う正確性の高いものであることが認められるのであつて、これらの点に照らしても、同人の現認、観察は、相当冷静で、客観性のかなり高いものであることを推認することができる。そのうえ、井手供述によると、井手が杉村に対する暴行を目撃した位置は、杉村の進行する方向、すなわちその前方に当たる方向からであつて、浦田の目撃位置に比べて、杉村の状況を容易に把握し得る位置にあつたことが認められる。そして、その目撃の内容は、具体性に富み、現実の観察に基づかなければ述べ得ないような点を多く含む反面、たとえば、被告人緒方の経済常任委員会室前における暴行の有無について問われても、目撃していないことについては、その旨供述しているのであつて、誇張した供述内容も特に見当たらないということができる。しかしながら、原判決の挙示するその余の関係各証拠によると、現場は、前記のとおり、多数の者が入り乱れ、かなり激しい動きを伴う状況であつたことが認められるうえ、下山証言によつても、現場に居合わせた警察官らも、杉村に加えられた個別的な暴行の行為者までは、遂に現認していないことが認められることを考え合わせると、右のとおり、状況を認識することについての井手の能力が相当優れているとしても、そのような状況の中で、杉村に対し加えられた特定の暴行の行為者(井手は、被告人緒方を除く被告人らにつき、面識を有していたものとは、認められない。)が誰であるかについてまで、正確に認識し、かつこれを正確に記憶にとどめているものとは必ずしもいえないように思われる。井手に対する反対尋問による弾劾の機会を経ていないということも、井手供述のみにより、直ちに個別的な暴行の行為者までをも特定して認定することを躊躇させる一事情となるといわなければならない。

しかし、全体としてその際杉村に対しどのような暴行が加えられたかについての浦田証言及び井手供述の各信用性は、いずれも、そのような細部にわたる不正確性のゆえに否定されなければならないものではなく、個々の被告人の行為や具体的な暴行の場所、暴行の詳細といつた点を別とすれば、そうした大筋の認定に供する限りにおいては、少なくともその信用性に疑いはないということができるのである。

なお、証人杉村の供述については、原審における証言と当審における証言(当審第七回公判調書中の同証人の供述部分及び同証人に対する当裁判所の尋問調書)との間に一部変遷が見られるが、基本的な部分についての信用性を左右するものとは認められず、どのような暴行が加えられたかについての大筋の認定に供する限りにおいては、証人杉村の原審供述は少なくともその信用性に疑いはないということができる。

そこで、少なくとも右の限度においては十分信用性を認めることができる浦田証言、井手供述及び原審公判調書中の証人杉村の供述部分に、原田証言、藤本証言、原審公判調書中の証人宮尾定信の供述部分、原裁判所の証人井上龍生に対する尋問調書及び宮尾定信、井上龍生各作成の診断書を含む原判決の挙示する関係各証拠並びに当審で取り調べた録音テープ一巻(押収番号略、以下同じ。)を総合すると、

1  前記のとおり、同日午前一一時ころ、申請協側の代表者一〇名が本件委員会室内に入り、申請協会長の田上始において陳情書を読み上げた後、続いて、原判示9のとおり、被告人緒方において「ニセ患者発言」に対する抗議文を読み上げたうえ、同被告人らにおいて、こもごも各公特委委員の机をたたくなどして執拗に抗議を行つたため、議事の進行がままならず、杉村委員長は、本件委員会の休憩を宣言し、同判示10のとおり、別室で委員らと協議のうえ申請協側の抗議に対する回答文を作成したが、その間に申請協参加者らの多数の者が、無断で、本件委員会室に入り、執行部職員席の空席や傍聴席あるいは床上に座り込むなどして、同室を占拠したこと、

2  その後、同判示11のとおり、同日午後一後ころ、本件委員会が再開され、杉村は、本件委員会の議事を整理し、秩序の保持する職責を有する、公特委の委員長として、申請協側の代表者ら一〇名以外の者の退席を求めたにもかかわらず、同人らがこれに応じないので、やむなくそのままで、環境庁における陳情の際の発言内容が真意と異なつて伝えられて誤解を招いたことは遺憾であるという趣旨の回答文を朗読したこと、

3  これに対し、被告人緒方は、右回答文のコピーの交付を求めたのに対し、杉村は、コピーについてはこれを作成して後に交付する旨告げたうえ、昼食のため休憩に入る旨を宣言するとともに、右の陳情についてはこれで終わりにする旨を告げて退室しようとしたところ、被告人緒方らを含む居合わせた申請協参加者らは、陳情、抗議を打ち切られる形で休憩に入ることを承知せず、なお「ニセ患者発言」についての責任の所在を明確にすることなどを声高に求めたのに対し、杉村は、これに取り合わず、そのまま退室しようとして本件委員会室西側出入口に向かつたので、被告人緒方を含む数名の申請協参加者らは、なお、釈明を求め責任の所在を明らかにするため、杉村を引きとどめる意図のもとに、これを追いかけ、被告人緒方が杉村の右腕をつかんで引つ張り、更に右脇腹をつかんで引つ張る暴行を加え、これに対し、杉村は、「痛いじやないか。誰か、つねつたのは。」と叫びながらこれを振り切つて同出入口から廊下に出ようとしたこと、

4  このような状況を見た本件委員会室内にいた申請協参加者らのうち一部の者らは、被告人緒方と同様の意図のもとに実力で杉村の退去を阻止しようとして、被告人緒方と暗黙のうちに意思を相通じ、他方、同室外にいた申請協参加者らのうちの一部の者も、杉村が同室外に出て来た姿を見、同人の後から被告人緒方が、「逃がすな。」と叫ぶのを聞くなどして、これに呼応して、右同様の意図のもとに暗黙のうちに意思を相通じ、ここにおいて、順次共謀が成立し、これに加わつた者は約二、三十名に達したこと、

5  杉村は、前記のとおり守衛長の藤本、県議会事務局職員の山本一郎、同富永典吾らに守られながら、本件委員会室西側の出入口から退室したが、右の共謀申請協参加者らがこれを取り囲み、同出入口扉付近廊下から、階段ロビーを経て、県議会経済常任委員会室前廊下曲がり角付近に至るまでの間において、杉村に対し、押す、引くなどしたばかりか、体当たりし、手拳で殴打し、足蹴りにし、頭髪を引つ張り、股間を膝蹴りにするなどの暴行を加えたこと、

6  杉村は、そのため壁に押し付けられたり、床上に倒れたりしながら、これを逃れて、ようやくにして県議会文教治安常任委員会室に逃げ込んだが、右の暴行により、原判示のとおり、加療に約一二日間(全治に至るまで約一か月間)を必要とする睾丸及び陰嚢打撲、外傷性尿道出血、右下腿部打撲及び擦過傷、左下腿打撲、上腹部及び右下腹部打撲、両足背部打撲の傷害を負つたこと、

7  杉村に対する右暴行は、本件委員会の休憩が宣言された後に加えられ、その大部分が、本件委員会室外の廊下及びこれに続く階段ロビー等において加えられているが、右のとおり休憩が宣言されたとはいえ、審議事項である陳情を打ち切ろうとしたことに対し、これを打ち切らせまいとして、引き続きこれに抗議する中で、退席しようとした杉村委員長を追いかける過程で、かつ、本件委員会室内及びそのすぐ外側の廊下から引き続いて加えられたものであり、したがつて、後に説示するとおり、右暴行は、杉村が、なお、本件委員会の委員長としての前記職務の執行に当たり加えられたものであること、

以上の各事実を認めることができ、浦田証書、藤本証言、原審並びに当審各公判調書中の証人杉村の供述部分及び当裁判所の証人杉村に対する尋問調書中の以上の認定に反する各部分は、いずれも、前記録音テープ、井手供述、原田証言に照らして信用することはできない。なお、所論は、杉村の傷害についての診断書を作成した医師らは、いずれも杉村と親しい関係にあり、うち一名は杉村の経営する病院に勤務する者であつて、その傷害の程度につき過大に診断しており、その全治期間が約一か月にも及ぶものとは到底認められない、というのであるが、原審第二〇回公判調書中の証人宮尾定信の供述部分によると、右の全治療期間には、性機能の完全な回復に至るまでの期間を含めたものである、というのであり、この点を考慮すると、右全治期間の認定をもつて、事実を誤認したものとすることはできないし(原判決が加療期間に加え、括弧内で全治期間を判示するにとどめたのも、右のような点を考慮したものではないかと解される。)、前記関係証拠を検討しても、加療に約一二日を要した点について誤認があることを疑わせる証拠もないから、この点に、事実の誤認があるということはできない。

次に、本件で、被告人らが、それぞれ共謀関係にあつたか否かの点について検討するに、共謀共同正犯における共謀とは、二人以上の者が、特定の犯罪を行うため、共同意思のもとに一体となつて、互いに他人の行為を利用することによつて、自己の犯行の目的を実現しようとする意思を通じ合うことをいうのであつて、いわゆる現場共謀の事件にあつては、それが往往にしていわば突発的な状況のもとにおいて発生するものであることに鑑みると、他の者が人に暴行を加えているのを現認しながら、これに相呼応して、被害者を追い掛け、取り囲み、押しとどめ、被害者に罵声を浴びせ、あるいは仲間に暴行を煽るなど、被害者の周囲にあつて行動を共にしているような事実がある者については、特段の事情のない限り、共謀に加わつたことを認めるに十分であるというべきであるところ、被告人らの個別的行為を認定するについては、前記のとおり信用性に疑問がある浦田証言及び直ちに信用性を認めがたい井手供述を除く原審及び当審で取り調べた関係各証拠、殊に、前記各写真撮影報告書及び上申書にそれぞれ添付された写真に、これらの撮影状況に関する、原田証言及び原審公判調書中の証人谷本憲夫、同川崎昭洋の各供述部分を総合すると、被告人らは、いずれも、申請協参加者ら約二、三十名と共謀のうえ、次のとおり、右犯行に及んだことを認めるに十分である(以下においては、写真撮影報告書の特定につき、作成者の姓を冠する方式により行うこととし、その添付の写真を特定して掲記する場合は、それに付された番号によることとする。)。

1  被告人緒方について

右関係各証拠(浦田証言及び井手供述を除く。以下、同じ。)によると、被告人緒方は、杉村が、前記のとおり、休憩を宣し、陳情に関する問題についての打切りを告げて退室しようとし、本件委員会室西側出入口に向かつた際、更に、ニセ患者発言につき問い質すため、同人を引きとどめようとしてその右腕をつかんで引つ張り(この点については、原審第三七回公判調書中の同被告人の供述部分によつても、この暴行の事実を認めることができる。)、同人の右脇腹を着衣の上からつかむ暴行を加えたうえ、同人を追いかけて廊下に出るや、他の申請協参加者らにも杉村の退室を押しとどめさせ、あるいは同人をつかまえて連れ戻させようとして、「逃がすな。」と叫ぶとともに、自らも、他の申請協参加者らとともに杉村を追いかけ、追い迫るなどし、前記文教治安常任委員会室前廊下まで至つていることを認めることができる(原田証言のみによつても、杉村が右文教治安常任委員会室に逃げ込んだ後、被告人緒方が、他の申請協参加者らとともに、前記経済常任委員会室角の廊下付近を経て本件委員会室の方へ戻つて行つたことを認めることができる。)。右の状況からすると、同被告人につき申請協参加者らとの右の共謀に関する事実を認めるに十分である。なお、原判決が、同被告人の加えた暴行の事実として認定した、エ事実中の(1)の暴行の事実のうち、右以外の部分については、これを認定するに十分な証拠があるとはいいがたい。

2  被告人坂本について

右関係各証拠によると、被告人坂本は、被告人緒方の後に続いて前記西側出入口から廊下に出て、他の申請協参加者らとともに杉村を追いかけ(川崎写真撮影報告書番号4の写真中の横縞模様のシヤツの男参照。)、追い迫るなどして、前記文教治安常任委員会室前廊下まで至つていることを認めることができる(谷本写真撮影報告書番号25及び26並びに川崎写真撮影報告番号6の各写真中の右服装の男参照)。右の状況からすると、同被告人についても被告人緒方及び申請協参加者らとの右の共謀に関する事実を認めるに十分である。なお、原判決が、同被告人の加えた暴行事実として認定したエ事実中の(2)の暴行の事実については、これを認定するに十分な証拠があるとはいいがたい。

3  被告人森山について

右関係各証拠によると、被告人森山は、少なくとも、本件委員会室前廊下の湯沸室と階段ロビーとの間付近で、杉村の右肩に手をかけて同人を前面から押しとどめる暴行を加え、右ロビーで、同人を追いかけていることを認めることができる(谷本写真撮影報告書番号22及び23の各写真参照)。右の状況からすると、同被告人についても被告人緒方、同坂本及び申請協参加者らとの右の共謀に関する事実を認めるに十分である。なお、原判決が、被告人森山の加えた暴行の事実として認定した、エ事実中の(4)の暴行の事実のうち、右の限度を超える部分については、これを認定するに十分な証拠があるとはいいがたい。

4  被告人中村について

川崎、谷本、吉村各写真撮影報告書並びに原審及び当審各公判調書中の被告人中村の供述部分を含む右関係各証拠によると、被告人中村は、申請協参加者らとともに被告人坂本の直ぐ後ろを同被告人と同方向に向かつて杉村を追いかけ(川崎写真撮影報告書番号4の写真中の〈2〉と表示された男がこれにあたる。)、ロビーに至り、申請協参加者ら約二、三十名の者らと行動を共にしていたことを認めることができるばかりでなく、当日県議会に陳情のために集まつた申請協参加者は、患者が約百二、三十名、これを支援する者が約二、三十名であつたが、被告人中村は、患者を支援する者の一人であつて、同日午前中には、ウ事実にかかる行為の直後、被害者の藤本に対し、被告人森山とともに文句を言つている事実が認められる(川崎写真撮影報告書番号3の写真中の〈3〉と表示された男は、同被告人と認められる。)ことからしても、積極的に活動していた者の一人として認められるのであり、右の約二、三十名の者らの集団とともにありながらこれらの者との共謀の事実を否定すべき特段の事情も窺われないうえ、被告人中村自身も、原審第三七回公判期日において、杉村が休憩を宣言して退出しようとするや、直ちに本件委員会室東側出入口の外に出て、同人に接近しようとしたが、集団の中ではじき飛ばされる形になり、その後近づこうとして追いかけてはみたが、追いつくとは思わなかつた、ロビー付近で集団が壁際で前のめりになつたとき集団に近づいたが、集団の中に割つて入ることなどとてもできなかつた旨供述していて、集団の行動状況を現認しながらこれと行動を共にしようとしていたことを窺わせる供述をしているのであるから、これらの事情を総合すると、被告人中村も、杉村に対し更にニセ患者発言について問い質すため、少なくとも、杉村を押しとどめ、同人を本件委員会室に連れ戻そうとして、その余の被告人ら及び申請協参加者ら約二、三十名との間において、杉村に暴行を加えるべく意思を相通じて共謀し、その集団の一員として加わつたことを認めるに十分というべきであつて、この点からして、すでに、共謀共同正犯としての刑責は免れないところである。原審及び当審各公判調書中の被告人中村の供述部分中には、単に傍観していたに過ぎない旨供述する部分があるけれども、以上の事実及び本件の現場状況等に照らして、これを信用することはできない。

なお、井手供述によると、被告人中村を黄色のシヤツを着た背の低い男として特定しているが、その色については真黄色よりは薄い黄色であるとし、そのシヤツはポロシヤツのようなもので、柄がはいつていたのは覚えているがどのような柄であつたかははつきりしない、というのであり、しかも、被告人中村を階段ロビーにおける暴行現場において、積極的に暴行を加えていた者として現認しているのは、単に着衣のみによるものではなく、顔付きの特徴によるものであり、写真や面通しにより、被告人中村がその男であることは間違いない、としている。しかし、前記川崎写真撮影報告書番号3及び4の各写真、押収してあるポロシヤツ一着(被告人中村雄幸差出しのもの)並びに原審及び当審公判調書中の被告人中村の供述部分によると、当日被告人中村が着用していたのは右ポロシヤツであること、その色はやや黄味を帯びた白色あるいはベージユに近い色のものであり、ただ蛍光灯の光の下では薄黄色にも見えるものであることが認められるが、柄の入つていないいわゆる無地のものである点で、異なつている。もつとも、この点は、混乱した状況の中での、誤認ないしは記憶違いによるものと見ることも十分可能であるが、浦田供述によると、井手の供述にかかる右人物と同一性があると考えられる者につき、黄色つぽい縦縞のシヤツの男としているのであつて、原審公判調書中の証人高倉史朗の供述部分(以下「高倉証言」という。)及び前記谷本写真撮影報告書によると、他に黄色に近い地で鎖様の図柄による縦縞の模様のカツターシヤツを着た高倉史朗がいたことが認められるのであり、また、当審公判調書中の証人大谷秀樹の供述部分によると、その際黄色の他の柄の入つたシヤツを着用した者もいたことも窺われるのであつて、井手が、現認した者の着衣については、あるいは右高倉または他の類似の色柄のシヤツを着用していた者の着衣と誤認・混同した可能性も否定できない。そうすると、井手において被告人中村の行為として供述している行為の行為者が、シヤツの色柄によつても特定されている関係で、その一部または全部が被告人中村の行為でない可能性を否定できないものといわざるを得ない。もつとも、井手供述においては、高倉の写真を示されて、人相の特徴が異なることを根拠として右の者が高倉ではない旨明言している部分もあるところからすると、その誤認の可能性は必ずしも高いとはいえないし、文教治安常任委員会室前では、井手は、右の者をつかまえようとしたというのであつて、その点からすると、その人相を十分確認しているのではないかと思われ、少なくとも同室前においては、被告人中村の姿を現認していたことは十分認め得るものといえなくもないが、井手の検察官に対する昭和五〇年一〇月一八日付供述調書添付の写真及び高倉証言によると、右の者らは、いずれも丸顔で、背も低く、頭髪の長さは異なるものの短い部類に属することが認められるのであつて、前記のとおり混乱状況の中での目撃であることを考えると、人相の点でも、両者を誤認することが全くあり得ないとまではいい切れないように思われる。殊に、被告人中村が割り出された経緯については、証拠上必ずしも明らかではないが、浦田証言及び井手供述によると、当初、黄色のシヤツで縦縞の入つたものを着用していた背の低い男という程度の特徴を供述していた中で、警察官の手持ちの写真による面割りが行われ、その中から被告人中村が特定された疑いもあり(前記関係証拠によると、被告人中村の逮捕時に、同被告人から右ポロシヤツとは異なる縦縞のカツターシヤツを押収した事実が認められるが、それは、黄色の縦縞のシヤツという供述がされていたことによるものと考えられる。)、浦田及び井手の両名が、人相についての記憶があいまいであつたにもかかわらず、同被告人の逮捕の後、面通しが行われた過程で、人相について被告人中村との一致を深めていつたということも、あり得ないこととはいえないし、ポロシヤツのようなものであるという点についても、その後現場写真を示されたことにより、そのように供述されるに至つた可能性も考えられないではない。また、この点に関する浦田証言中の供述も、前記のとおり、信用性に疑問があり、浦田証言及び井手供述を総合しても、いまだ被告人中村が杉村に対しエ事実中の(3)のような特定の暴行を加えたことまでをも認定するには足りないし、井手及び浦田が、その際被告人中村がその場にいたことを目撃していたとするについては、なお疑いが残るものというべきである。しかしながら、被告人中村については、浦田証言及び井手供述によらないでも、前記のとおり、共謀の事実を認定するに十分であるというべきである。

以上のとおり、被告人ら四名については、いずれも、申請協参加者ら約二、三十名と共謀のうえ、前記行為に及んだ事実を認めるに十分である。

してみると、原判決が、その判示12の事実において、杉村の回答文の朗読が始まるや、同判示のように、申請協参加者らが騒ぎ出し、怒号して抗議をし、本件委員会室内が混乱して騒然となつたため、杉村が、このままでは審議を継続できないものと判断して、休廷を宣言したうえ退席しようとし、これに対し、被告人ら四名は、申請協参加者多数と共謀のうえ、「逃げるのか。」「逃がすな。」と叫びながら委員長席に駆け寄つて、杉村を取り囲んだとしている点(すなわち、杉村が休憩を宣して退席しようとした経緯及び被告人らが杉村に対し暴行を加えるに至るまでの行動の部分)、並びに個個の被告人らが杉村に対し加えたとする暴行のうち、前記認定を越え、あるいはこれと矛盾する内容の部分については、事実を誤認したものといわなければならない。しかしながら、以上の認定事実によると、エ事実中、被告人らと申請協参加者ら約二、三十名との共謀による、各被告人の暴行を個別的に認定している部分(同部分は、共謀共同正犯としての判示としては、必要不可欠のものではない。)以外の公務執行妨害及び傷害の事実を優に肯認することができるのであつて、記録を精査し、当審の事実取調べの結果を検討しても、以上の認定が誤りであることを窺わせる証拠を見出だすことはできない。原判決には、右のような事実の誤認はあるが、その部分は、犯行の経緯に関する部分であるか、共謀共同正犯としての判示に必要不可欠な部分以外の部分にかかるものであり、また、被告人らの個別的行為の認定部分の誤りも、被告人らがいずれも共謀共同正犯としての責任を問われているものであること、及び原判決の各被告人に対する量刑が、いずれも懲役四月(二年間刑執行猶予)にとどまるものであることのほか、本件の事案の罪質、態様、結果等に照らし、被告人らに対する各量刑に実質的な影響を及ぼすものとはいえないと解されるから、以上の点に関する事実の誤認は、いずれもいまだ判決に影響を及ぼすことが明らかであるとまではいえないものと認められる。

従つて、原判決中のエ事実にかかる部分についても、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認はなく、論旨は、結局理由がない。

第四控訴趣意第二の一の2の(一)(二)(四)(事実誤認及び法令解釈適用の誤りの主張)について

所論は、要するに、原判示12の事実につき、原判決は、回答文(その内容は、同判示11のとおりである。)の朗読が始まるや、申請協参加者らの抗議によつて、本件委員会室内が混乱し騒然となつたため、本件委員会の委員長として同委員会の議事を整理し秩序を保持する職責を有し、その職務に従事中の杉村が、このままでは審議を継続できないと判断して、休憩を宣言して退席しようとしたところ、これを不服として、被告人らほか多数の申請協参加者が、「逃がすな。」などと叫びながら、委員長席に駆け寄り、杉村を取り囲んだうえ、同人の右腕を掴んで引つ張つたり、引き戻そうとしたり、右後脇腹を強く掴んで引つ張つたりした、という事実を認定し、かつ、杉村が本件委員会室から廊下に出た後に、同人に対して加えられた暴行の事実をも合わせ認定して、杉村に対し暴行を加えて、同人の職務の執行を妨害したとし、公務執行妨害罪の成立を認めているが、右回答文朗読中に本件委員会室内が混乱し騒然となつたことはないのであるから、杉村が休憩を宣言したのは、本件委員会室内の混乱によつて審議の中断を余儀なくされたからではなくして、昼食をとるためであり、また、同室内において、被告人ら申請協参加者らが、「逃がすな。」などと叫んで杉村を取り囲んだことはなく、被告人緒方が、退席しようとした杉村を引き止めようとして同人の手を掴んだことはあるが、その行為は、杉村の不誠実な対応から出たまでのことであつて、暴行といえる程度のものではないのであり、杉村が同室内を退去して廊下に出た後に、仮に原判示のような暴行を受けた事実があつたとしても、その際には、すでに杉村の公特委の委員長としての職務の執行は終了していたものであつて、杉村に対する公務執行妨害罪は成立するに由ないものであるから、原判決は、杉村の職務の執行に関する事実を誤認し、かつ、刑法九五条一項の「職務ヲ執行スルニ当リ」の解釈適用を誤つたものであり、その誤認及び誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

まず、事実誤認の論旨についてみるに、杉村が、回答文の朗読を始めてから、本件委員会室を退出するまでの経過に関しては、前示認定のとおりであつて、右認定に反する限度において、原判決の事実の認定には誤認があるといわなければならない。

ところで、刑法九五条一項にいう「職務ヲ執行スルニ当リ」とは、具体的・個別的に特定された職務の執行を開始してからこれを終了するまでの時間的範囲及び当該職務の執行と時間的に接着しこれと切り離しえない一体的関係にあるとみることができる範囲内の職務行為中をいう(最高裁昭和四二年(あ)第二三〇七号同四五年一二月二二日第三小法廷判決・刑集二四巻一三号一八一二頁、同昭和五一年(あ)第三一〇号同五三年六月二九日第一小法廷判決・刑集三二巻四号八一六頁)のであるが、本件のような委員会にあつては、その議事を整理し、秩序を保持するという委員長の職務権限の行使は、その性質上、形式的に委員会の開会宣言から閉会あるいは休憩宣言までの間に限られるのではなく、閉会あるいは休憩宣言後であつても、引き続きこれと接着した時間内に、当該委員会の議事に関して紛議が生じたような場合には、委員長としては、なおその紛議につき何らかの措置をとらなければならなくなることもあり得る状態に置かれていることは、その職責上自明の理であるから、右宣言後であつても、引き続き右紛議に対処するように求められている間は、なお委員長としての議事の整理及び秩序保持の職務の執行中であるというべきであつて、その対処を求められている間に暴行が開始された以上、右委員長が、本来委員会を開催すべき場所である委員会室から退去し、暴行を避ける行動のみをしていたとしても、時間的場所的に接着した範囲内で、右暴行が継続しているときは、その暴行は、「職務ヲ執行スルニ当リ」加えられたものと解するのが相当がある。

これを本件についてみるに、事実経過については、前示第三のとおりであるところ、右事実によると、杉村が、一旦、委員会の休憩を宣言し、続いて、「ニセ患者発言」問題を終りにする旨述べるや、右問題につきそのまま打切りにすることは認められないとする被告人緒方を含む数名の申請協参加者らが、杉村になおも引き続きその場で右問題についての抗議や釈明要求に応対させようとし、同室外に退去しようとする杉村らを追いかけ、被告人緒方が杉村の右腕を引つ張つたのを皮切りに、これに呼応した他の被告人及び申請協参加者らにより、杉村に対して、引き続き前示のとおりの暴行が加えられたことが明らかであるから、杉村に対する前示第三の暴行は、杉村の、公特委委員長としての、公特委の議事の整理、秩序の保持という「職務ヲ執行スルニ当リ」加えられたものということができる。なお、被告人緒方は、本件委員会室内において、同室から退去しようとした杉村に対し、前示のとおり、同人の右腕を掴んで引つ張つたりばかりでなく、更にその右脇腹を掴んで引つ張つたのであるから、これらの所為が刑法九五条一項の暴行に該当することは明らかである。

してみると、原判決には、前記とおり、その判示12の事実中に一部事実の誤認があるけれども、休憩宣言後、杉村委員長が引き続き議事に関する紛議に対処するように求められている間に、同委員長に対し前示の暴行が加えられたものであることについては誤認はないのであるから、原判決の右事実の誤認は、職務執行性の事実についての誤認につながるものではなく、従つて、判決に影響を及ぼさないものであり、杉村委員長が右のような状況にあることをもつて、原判決が、刑法九五条一項の「職務ヲ執行スルニ当リ」の要件を満たすものとして、その判示事実について、同法条(及び同法六〇条)を適用したことに、法令の解釈適用の誤りがあるということはできない。論旨は理由がない。

第五控訴趣意第三の二、三、四(法令適用の誤りの主張)について

所論は、要するに、杉村らの環境庁における「ニセ患者発言」は、水俣病患者の救済を阻止するものとしてその加害性が大であり、その侵害回復のためには「謝罪」が有効な手段であつて、しかも、侵害回復は緊急を要し、謝罪要求を陳情の形式によつたことは相当な手段であつたのであるから、杉村は、謝罪要求の場に臨んで、その要求に誠実に応える義務があるのに、多数の県職員及び私服警察官を本件委員会室内外に配置し、県議会出入りの写真業者に現場写真を撮影させるなど異常な警備態勢をとつたばかりか、前例を破つて、被告人ら陳情者の本件委員会室への入室制限を行い、不誠実な内容の回答文を作成朗読したのみで、申請協側の謝罪要求をひたすらやり過ごそうとしたものであつて、杉村の右対応は、もともと公特委が公害対策を目的として設置されたものである以上、その義務に違反するものであつて、公特委委員長としての適法な職務の執行行為ということはできず、また、植田は、県議会事務局議事課長として、藤本は、同事務局所属の守衛長として、いずれも杉村の指揮のもとに同人の陳情者に対する違法な入室制限措置を確保する職務に従事していたものであつて、植田及び藤本の各職務の執行もまたいずれも違法であり、従つて、仮に、原判示のような各暴行の事実があつたとしても、それだけでは、公務執行妨害罪は成立しないのであるから、原判決が、ア事実、イ事実、ウ事実及びエ事実において、それぞれ公務執行妨害罪の成立を認め、刑法九五条一項を適用したのは、法令の適用を誤つたものであり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

原判決の挙示する各証拠によると、県議会に対する請願あるいは陳情は、書面によつてなすものとされ(熊本県議会会議規則七九条、八四条参照)、その陳情等の付託を受けた委員会は、慣例として、陳情者の口頭による補足説明を許容していたことが認められるが、口頭による説明を許すか否か、許すとしてもその時間、説明者の人数等は、委員会の自由な裁量によつて決めることができるものと解すべきであることは、原判決の正当に説示するところである。

ところで、原審で取調べられた各証拠によると、公特委の委員が、昭和五〇年八月七日、環境庁へ赴いて、水俣病認定業務の促進問題に関し陳情をした際、委員長の杉村及び委員の斉所市郎らが、その陳情の席で、いわゆる「ニセ患者発言」(その内容は、おおむね、原判示3の新聞記事と同旨のものであつた。)をし、そのことが、同月八日付の熊本日日新聞に掲載されて報道され、このいわゆる「ニセ患者発言」により水俣病認定申請者の名誉を傷つけられたものとして、右認定申請患者らによつて結成された申請協の構成員らの怒りをさそつたことが認められ、被告人緒方、同坂本ら及び申請協参加者らが、公特委、特に「ニセ患者発言」をした委員に対し、抗議をし、謝罪を要求しようとしたことは、理解しうることであるが、右抗議及び謝罪要求を公特委に対する陳情という形で行う以上は、県議会の定めた委員会に対する陳情の方式に従つてなすべきであることはもとより、公特委が本件の陳情につき相当として定めた措置に従つてなされなければならないものであることはいうまでもない。従つて、たとえ申請協参加者の公特委あるいは杉村に対する謝罪要求が正当であつても、申請協の本件陳情の口頭説明に当たつて、公特委が本件委員会室への入室者を当初五名に制限したことを不当であるとすることはできないのであつて、所論のように、物理的に入室可能なだけの人数を入室させなかつたからといつて、公特委あるいは杉村の措置が違法となるものではない。また、杉村の要請により、当日本件委員会室内外に、相当数の県職員及び二十数名の私服警察官が警備のために配置されており、杉村が、個人的に、県議会出入りの写真業者に対して現場写真の撮影方を依頼していたことは証拠上明らかであるが、そのような措置の当否については議論の余地があるとしても、そのことによつて、公特委の開催及び審議の適法性が害されるものではなく、従つて、公特委委員長としての職務及び公特委の開催、審議に関係する職務を担当する県職員や守衛らの職務の適法性が害される関係にはないのであり、また、仮に公特委自体が本来の機能を果たしているとはいえないと考えられるからといつて、公特委の開催及び審議自体の適法性が損なわれるものではない。そして、申請協の謝罪要求に対してなされた公特委の回答文の内容が、申請協の要求に答えたものではないために、被告人緒方らにおいて、右回答文の内容に不満があつたとしても、公特委がそのような内容の回答文を作成し朗読したことが、委員長杉村の措置として違法となるものではない。以上のとおり、杉村の公特委委員長としての職務の執行に違法性はないのであり、そうである以上、その指揮のもとに、本件委員会室への申請協参加者の入室制限確保の職務に当つていた植田及び藤本の各職務にいずれも違法性がないこともまた明らかである。してみると、原判決が、ア事実、イ事実、ウ事実及びエ事実において、それぞれ公務執行妨害罪の成立を認め、刑法九五条一項を適用したのは正当であつて、原判決には、所論のような法令適用の誤りはない。論旨は理由がない。

第六控訴趣意第三の五(法令適用の誤りの主張)について

所論は、要するに、ア事実、イ事実及びウ事実について、仮に、その判示のような各行為に及んだ事実があつたとしても、右各行為は、いずれも、極めて軽微な態様のものであり、植田及び藤本が違法に陳情者の入室を阻止しようとしたことに対抗する手段としてなされたに過ぎないものであつて、同各行為には、いずれも、処罰に値するだけの実質的違法性がないから、これらについては、いずれも、犯罪は成立しないのに、原判決が右各行為について、刑法九五条一項を適用したのは、法令の適用を誤つたものであり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

しかし、申請協参加者に対する本件委員会室への入室制限が何ら違法でないことは、前示第五のとおりであり、ア事実については、前示第二の一のとおり被告人坂本が、植田の顔面鼻の付近を手拳で殴打し、植田は、そのため、ずきんとするような痛みを感じ、眼鏡がずり上り、後ろの壁の方によろめくような状態になつたことが認められ、イ事実については、前示第二の二のとおり被告人森山は、藤本を同人が懸命に振りほどこうとしても、振りほどけないほどの強い力で抱き締めて室外に押し出したことが認められ、ウ事実については、前示第二の三のとおり、被告人坂本が、藤本の左大腿部の内側を膝蹴りし、そのため藤本は、ずきんと痛んで、二、三日は押さえると痛みを感じたことが認められるのであつて、これらの各所為が、いずれも、日常生活上看過できるような違法性の軽微なものであるということはできず、所論が指摘するような動機、目的を考慮に入れても、法秩序全体の見地から見て、許容されるものとは到底考えられない。従つて、原判決が、ア事実、イ事実及びウ事実を認定し、これらにつき刑法九五条一項を適用したことは、法令適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

第七控訴趣意第四(公訴棄却の主張)について

所論(控訴趣意書記載第四及び控訴趣意補充書記載第一章)は、要するに、本件公訴の提起は、次の1ないし4のとおり、公訴権の濫用によるものであつて、違法であるから、本件については、被告人ら四名に対していずれも公訴棄却の判決が言い渡されるべきであるのに、原判決が、被告人らに対しいずれも有罪の判決を言い渡したのは、不法に公訴を受理したものにほかならない、というのである。

1  本件公訴は、その各公訴事実について、いずれも嫌疑がないか、あるいは嫌疑不十分であるのに、あえて提起されたものである。

2  杉村らの「ニセ患者発言」は、多年にわたつて苦しんで来た水俣病認定申請患者の名誉を侵害し、そのために水俣病患者の救済を阻害させるなど重大な結果を生じさせたものであつて、名誉毀損罪を構成するのに、検察官が、これについての捜査をなおざりにしながら、一方、その被害者である被告人らのみを起訴したのは、水俣病認定申請患者側に対する偏頗不平等な処分である。

3  本件は、本件委員会室内外の異常な警備のもとに、水俣病認定申請患者側の運動を弾圧する目的で杉村と警察当局とによつて仕組まれた事件であつて、その捜査の発端においてすでに違法捜査であり、しかも、捜査官は、被告人らに対する必要性のない逮捕、勾留を執行し、ことに、被告人坂本に対しては、同被告人が水俣病にかかり、勾留中に発作を起すなどして苦しみ、ついには勾留執行停止を受ける程の状態であつたのに、執拗な取調べをし、検察官においては、右勾留執行停止決定が、同被告人の勾留場所に送達された後も、そのことを知りながら、同被告人に対する取調べを継続した疑いがあるなど、被告人らの人権を無視した違法な捜査を行ない、その結果に基づいて、本件公訴が提起されたものである。

4  本件は、その公訴事実中の犯行日後一か月足らずの短い期間内に起訴されているが、これは、検察官が、本件の起訴不起訴を決定するについて当然考慮しなければならない事項、すなわち、杉村らに対する名誉毀損事件の成否、水俣病認定業務についての不作為違法確認訴訟の帰すう、被告人坂本、同緒方の各水俣病認定問題のすう勢などを見極めることをせず、安直にことを急いで起訴したものであり、結果として、加害者である杉村らに一方的に加担することになつたものであつて、本件公訴提起は、不適切な時期になされたものである。

そこで検討するに、検察官の訴追裁量権の逸脱が公訴の提起を無効とならしめるのは、その公訴の提起自体が、検察官の職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られるものと解すべきである。(最高裁判所昭和五二年(あ)第一三五三号、同五五年一二月一七日第一小法廷決定)ところ、

右1について

本件の証拠並びに事実関係は、前示のとおりであつて、記録によると、右証拠のうち少なくとも主たるものについては、本件公訴提起時において、検察官が、収集していたものであるか、もしくは、取調べを経ていたものであることが認められるから、本件公訴の提起が、嫌疑のないのに、もしくは嫌疑不十分であるのに、あえて行われたものとすることはできない。

同2について

原審及び当審各公判廷において取り調べられた関係証拠によると、杉村が公特委の委員長の立場にありながら、環境庁への陳情の際、いわゆる「ニセ患者発言」をしたが、右発言は穏当を欠くものであつたこと、右発言については、民事事件において、本件公訴提起後、熊本県に対し不法行為による謝罪広告等を命ずる裁判がされて、それが確定したこと、また、同発言については、杉村が名誉毀損の罪により告訴されたが、不起訴処分になつたこと、本件公訴事実中の犯行日時当時、熊本県知事の行う水俣病認定業務に、かなりの停滞が生じていて、水俣病認定申請者らの、熊本県知事を相手方とする不作為の違法確認を求める訴えが熊本地方裁判所に係属し、本件公訴提起後、右の不作為の違法を確認する判決がなされ、それが確定したこと、被告人坂本は、右犯行日時当時水俣病にかかつていて、水俣病認定申請中(昭和五一年六月三〇日認定された。)であり、被告人緒方も、その当時、水俣病の認定申請中(昭和五四年ころ認定保留となつた。)であつたこと、いわゆる「ニセ患者発言」は、これまでの国及び熊本県の水俣病患者に対する救済が不十分であるとして、その改善を求めて行動してきた者ら、殊に、水俣病認定申請中の者らに対し、衝撃を与え、その救済についての不安を強めさせたばかりか、激しい憤りを招き、それが本件の陳情、抗議の行動の動機となつていることが認められ、その動機自体は十分理解できるところである。しかし、被告人らが、右の「ニセ患者発言」をもつていかに不当であると考えたからといつて、その不当性を訴える方法としては、法により許容された範囲内においてとり得る種種の手段があるのであるから、そのような手段により行うべきであり、それを越えた違法な手段に訴えれば、その行動について、別途責任を問われることになるのは当然であり、殊に、本件における被告人らの行動が、県議会の公的な委員会の審議に際し、陳情として許された範囲を越えた抗議行動として、委員会の本来予定された審議を明らかに妨げる域に達しており、その休憩を宣言した委員長に対し、多数の者が前示の暴行に及んだうえ、軽微とはいえない傷害を負わせた行為は軽視できないものであつて、それ自体起訴されたとしてもやむを得ないものであり、本件が起訴されたからといつて、一般の場合に比べ、不当に不利益に取り扱われたものではないことが認められる。そして、本件の動機となつた「ニセ患者発言」にかかる名誉毀損につき不起訴処分がされていることについては、公訴提起の権能には広範な裁量権が与えられているのであるから、それに対する公訴権の発動の当否を軽軽に論定することは許されないのであつて(前記昭和五五年一二月一七日決定)、本件が、一般の場合に比べ、不当に不利益に取り扱われたものでないことは、前示のとおりである以上、たとえ、関連する事件が本件より有利に取り扱われたからといつて本件公訴提起が当然無効となるものではない(最高裁判所昭和五五年(あ)第三五二号、同五六年六月二六日第二小法廷判決参照)というべきであるから、仮に右名誉毀損事件についての不起訴処分が不当であるとしても、そうであるからといつて、そのために本件公訴の提起が直ちに違法となるものとすることはできない。

同3について

記録によると、本件公訴事実中の犯行日当日、本件委員会室内外に二十数名の私服警察官が、採証あるいは警備のために配置され、本件証拠中には、これらの警察官によつて収集されたものであることが認められるけれども、当日の申請協参加者らによる公特委に対する抗議陳情がなされるという情勢下において、県議会当局が警察当局と協議のうえ警備態勢をとつたことは何ら違法ではなく、本件が、杉村個人と警察当局とが「仕組んだ」事件であるというのは当らない。そして、同じく記録によると、被告人ら四名がいずれも逮捕勾留され、ことに被告人坂本は水俣病に侵され、勾留中に発作を起こしたことが認められるけれども、原審公判調書中の証人三宅良三、同北川尚弘の各供述部分によると、被告人坂本は、勾留途中から、医療設備のある拘置支所に移監され、検察官は、拘置支所の医師と連絡をとりながら、同被告人の承諾をえて取調べをしたが、同被告人に対する勾留執行停止決定が拘置支所に送達された後まで、そのことを知りながらあえて取調べを継続したことはないことが認められる。してみると、本件公訴の提起については、それ以前の捜査の過程において所論のような違法の点はなかつたものといわなければならない。

同4について

捜査の進行状況に照らし、いかなる段階で公訴するかは、公訴を提起し、その公訴を維持する権限と任務とを有する検察官の裁量判断に委ねられているものであり、検察官において、公訴を維持するに足りる証拠を収集できたと判断したときは、速やかに公訴を提起することが、むしろその職責上の要請にかなうものというべきであるところ、記録を検討しても、検察官が、本件につきことさらに杉村らに有利になり、被告人らに不利になるような時期を選んで公訴を提起した証跡はない。

更に、以上の諸点にすべてを総合し、その他所論にかんがみ、記録及び当審における事実取調べの結果を検討しても、本件公訴の提起行為それ自体が、検察官の職務犯罪を構成し、従つて、それが公訴権の濫用によるものであるとしなければならないような根拠を見出すことはできない。論旨は理由がない。

なお、記録によると、原裁判所である熊本地方裁判所刑事第一部は、昭和五四年一二月一七日の本件第四一回公判期日において、裁判長裁判官竹澤一格、裁判官酒匂武久、同小林和明出席のうえ、本件の弁論を終結し、昭和五五年三月一八日の本件第四二回公判期日(判決宣告期日)において、前同裁判官三名出席のうえ、裁判長裁判官竹澤一格が原判決を宣告し、即日作成された右第四二回公判調書には、裁判長である同裁判官の認印が押捺されているところ、右公判調書の次に編綴されている判決書の末尾には、「昭和五五年三月一八日」という日付の記載並びに熊本地方裁判所刑事第一部裁判官酒匂武久、裁判官小林和明の各署名及び押印があり、続いて「裁判長裁判官竹澤一格は、転任のため署名押印することができない。」という事由が附記されていて(同年四月五日付官報によると、同裁判官の転任は同年四月一日付であることが明らかである。)、裁判官酒匂武久の署名押印がなされており、裁判長裁判官竹澤一格の署名押印のないことが明らかであるが、当審において取り調べた熊本地方裁判所所長塩田駿一作成の回答書によると、原判決のタイプ浄書が同庁第一刑事部に引き渡されたのは同年四月一二日であることが認められ、右事実によると、原判決書が作成されたのは同日以降であることが明らかであり、以上の各事実によると、原判決書には、現実に作成された日ではなくして、宣告日が記載されたに過ぎないものということができるから、右判決書は、署名押印の可能な裁判官の署名押印を欠いた違法なものとすることはできない。従つて、右の瑕疵は、いまだ判決に影響を及ぼすほどのものでない。

それで、刑事訴訟法三九六条により、本件各控訴をいずれも棄却し、当審における訴訟費用は、同法一八一条一項本文に従い、その四分の一ずつを各被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 桑原宗朝 小出[金享]一 泉博)

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